思い4

私はどこから来て、どこへ帰っていくのだろう?


 こころ・おもい・そして現象との関係は、、、?
 

先日(4月初旬)、1年ぶりで身障者センターへウエスにする不要衣服を持って行った。
ちょうど生徒さんが帰りのバスに乗り込んだところだったので、私もちょっとバスに乗って声をかけた。
しばらくぶりだったので、「だれかなぁ〜?」という顔をしていたが、「覚えてる?パソコンの・・・」と言ったとたん顔が輝いて思い出してくれたことがわかった。
たった半年だったけど、仲良しになれたような気がしていたのは間違いじゃなかった。
そこの教室に来てくれる人は、大部分は足だけ不自由、目が不自由というような方たちだったけど、数人は知的な不自由がある人もいた。
その不自由さも、一人ひとり違っていて、当然対応もひとり々違うものとなる。
今までの接したことのない環境だったけど、その子たちの心はちっとも違わないので、ふつうと同じように何に興味があるかなと探りながら一緒に遊ぶ感覚でやってみた。
そしてやっと慣れて・・・と思う頃に半年の契約切れとなった。

神様はいろいろな人をおつくりになるけど、どうして身体的精神的に不自由な人をつくるのだろう?
半年の経験でわかったこと。
それは、その子たちに接するひとに優しさとか忍耐とかを身につけさせるためということもあるんじゃないかと思い当たった。
それと、今までどう接していいかわからないという部分がどうしても私の中にあったけど、今は普通でいいんだということが心から理解できた。
これが一番大きな収穫だったかも。
心や体の不自由な子供たちが、普通学校、普通学級で学べるようになったら、社会はほんとに変わるような気がする。
子供たちが、いろいろな人がいてあたりまえっていうことがわかると、他人に、もっと優しくなれるような気がする。
   「苦労は魂のみがき砂」
   「まいた種は自分で刈り取る。いいことも悪いことも。」
   (自己責任というのは重いことばですね。)   


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